紀州街道徒歩の旅
昨日、7月9日(土)。歩きました。
どこまでか・・・・・・大阪城まで!
そうなんです!
岸和田城から大阪城(下の高麗橋)までの紀州街道という、江戸時代に岸和田藩と紀州藩が参勤交代で使っていた旧街道(約30km)の道のりを徒歩で制覇したんです!
すごくないですか?
30kmですよ!
8時間半、ひたすら歩きました!
岸和田を抜けるだけでも1時間。
そのあと、忠岡町を抜けて、泉大津市に入りました。
泉大津市の助松町には、田中本陣と呼ばれる大きな(100m四方の)お屋敷があるのですが、ここは参勤交代の際に、和歌山を出て貝塚で宿泊した行列が、2日目に休憩する場所だったそうです。
そのあと、高石市を超え、堺市に入るのですが、堺市の長いこと、長いこと。
かなりの体力を堺市に奪われてしまいました・・・・・(;一_一)
大阪市に入り、住吉大社、天下茶屋を超えまして、いよいよ都心部へ。
ちなみに、天下茶屋は、豊臣秀吉が住吉大社にお参りに行く際に立ち寄ったことがきっかけで関白殿下から「殿下茶屋」や、または、天下人から「天下茶屋」と呼ばれるようになったそうです。
通天閣が見える頃には、すっかり日も沈んでしまいました。
そして、最終目的地、紀州街道の起点である高麗橋がこちらです。
ゴールした頃には、足がまさしく棒のような状態になってました。
一度座ると、足が固まってしまって、次に動き出す時には、動かないんですね・・・・。
そうそう・・・・
何で歩いたのかと言いますと、青年会議所で10月に開催する研修事業があるんですが、そこでこの「紀州街道を歩く」という企画を私が出しまして、それでいこうとなったものですから、その下見だったんです。
そんでもってさらに、その元ネタはと言いますと、お好み焼き千房の中井社長という方が、「ねっ子の会」という会をつくって、毎年50kmを12時間で歩くという大会を開催してるんで、そこからアイデアをいただいて、今回の企画になったんですが・・・・
今回やってみて、今の状態では50kmを12時間なんて絶対無理だと思い知らされました。このペースだと、時間内にゴールなんてできないし、まず50kmを歩き切れないでしょうね。
毎年4月にやってるそうなんで、来年は出てみたいと思ってたんですけど、それまでこつこつトレーニングを積まないと難しいなぁ・・・・・。
ということだったんですが、今回は、4人で歩き始めて、途中参加、途中帰宅もあり、最終的に3人が完歩しました。
と言っても、1人はフルマラソンを走るアスリートで、もう1人は、26歳の若者でしたから、全然平気そうで、足が上がらず、よちよち歩きになってたのは、私だけだったんですよね。
情けない・・・・・(--〆)
最近、自転車で泉佐野や光明池を往復したりしてたので、少しは足腰が鍛えられてるかと思ったんですが。
見事に撃沈です。
でも、こうやって仲間が集まって、ひとつの目標に向かって汗を流すのって、もの凄くいいもんで、気付かされることも多いんです。
仕事を途中で抜けてきて、少しだけでも一緒に歩いたり、仕事終わりに駆けつけて参加したりしてくれるメンバーもいれば、facebookで途中報告してたんですが、多くの励ましコメントをいただいたりして、そういうのが完歩する原動力になったりするんですよね。
本当にありがたいことです。感謝感謝です!
さぁ、明日からまた仕事頑張るぞぉ!